第1章第3節– 注釈一覧 –
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拘束
1章3節345-5 柳田は、『世相篇』のなかで、この「拘束」という語を多用している。この語は、制限、制約といった意味合いで用いられ(3章2節398-8、3章4節404-11など)、その状況下で生活することは「辛抱」(3章1節394-5)、「不便をさへ忍んで居る」(3章5節407-8)とされる。「拘束」の対義語には、「解放」(3章1節394-17)や「自在なる取捨選択」(2章6節385-17)が、容易に解消しがたい拘束には「調和手段」(3章1節394-6)や改良が配置されている。拘束の発生については、「人間の作り設けた」拘束(1章3節345-5)と、「天然」の拘束(1章3節345-5、10章2節532-10など)とに分けられるが、同時代人にとってはそれらがいずれも「前代生活の拘束」(3章1節394-2)、「伝統の拘束」... -
日常+日常化
1章3節345-8、346-12、1章4節350-7+1章4節351-2 柳田國男が「珍事・奇談」ではなく(千葉徳爾「『日本民俗学の頽廃を悲しむ』について」『日本民俗学』194号、1993年、158頁)、「当たり前なもの」「ありふれたもの」に関心を向けていたことはいまや論を俟たないが、彼が「日常」という語をどのように使用していたかはなお検討されてよいだろう。『世相篇』の中では、日常という語は5ヵ所(第1章第3節に2ヵ所、第1章第4節に2ヵ所、第8章第1節に1ヵ所)出現する。例えば、第1章第4節では、花に対する「昂奮の如きもの」が消え、その楽しみが「日常凡庸のものと化した」という一文、そして、「微妙の天然を日常化し、平凡化して置いてくれたのは無意識であつたろうが」というかたちで「日... -
白といふ色
1章3節347-10 日本では「白は本来忌々しき色」で、神祭の衣か喪の服以外には身に著けずとあるように、清浄かつ神秘的な色とされた。「紺屋の白袴」と呼ぶ如く、褻着には白を用いなかったが、朝鮮半島では「白衣の民族」と自称したように、白は日常の衣服に着用されてきた。これに対して日本では、シロは葬儀の際の喪服や白装束などを指す言葉であり、その忌み言葉としてイロと呼ぶ地方も広かった(「イロ」『綜合日本民俗語彙』1巻、1955年)。[岩本] 台湾においても白は死を連想させる色であり、「白」字は葬儀に関する用語に見られる。喪服の色や形式は死者との親族関係により決定されるが、喪服の帽子を閩南語で「頭白」と総称する。また、葬儀の開催を知らせることを「報白」とい... -
好み
1章3節345-13 第1章、第2章では、「好み」「好み嫌い」「好き嫌い」などのことばが頻出する。『世相篇』における明治大正期の消費と生産をめぐる生活の構造的変容をめぐる議論のなかで使われる、この「好み」ということばは、近代的な市場経済を駆動する消費者の行動を表す「選好」という経済学の概念に重ねて理解することもできるだろう。 「好み」は、私たちの消費生活における生理的な欲求や、機能的な必要性とは異なる欲望をも可視化する。たとえば柳田が指摘する、色に飽きてまだ着られる服を着なくなるような私たちのありようをもとらえることができる。「好み」ということばで、『世相篇』は、決して合理的でも理性的でもない、ある意味で感覚的な消費を問うことを可能にしたの... -
蝶や小鳥の翼の色の中には、しばしば人間の企て及ばざるものがきらめいて居た故に、古くは其来去を以て別世界の消息の如くにも解して居た
1章3節346-6 柳田が蝶に触れるのは、蝶の呼び方に関する民俗語彙研究と、荘子の夢との関連である。鳥については、時鳥(ホトトギス)、郭公(カッコウ)、鳶や鳩の鳴き声(第1章第1節は「鶉の風雅なる声音」が言及される新色音論である)の解釈が口承文芸との関連で議論される。蝶と小鳥の両者の共通点には、羽、翼による往来があるが、「あの世を空の向ふに在るものと思つて居た時代から、人の魂が羽翼あるものゝ姿を借りて、屢々故郷の村に訪ひ寄るといふ信仰があつたものと思はれる」(『口承文芸史考』1947年、⑯506-14~16)、「人の心が此軀を見棄てゝ後まで、夢に現れ又屢々まぼろしに姿を示すのを、魂が異形に宿を移してなほ存在する為と推測した」(『野鳥雑記』1940年、⑫105-6... -
異常なる心理の激動
1章3節346-17 「童子から若者になる迄の期間(…)異常なる心理の激動」(346-16~17)とは、柳田が14歳のとき、布川のある祠の扉を開けたところ、青天に数十の星を見たという異常心理を来たしたが、鵯(ヒヨドリ)が啼いて正気に戻ったという逸話(『故郷七十年』1959年、㉑45)と関わっている。「体質の上に、如何なる痕跡を遺すものであつたか。はた又遺伝によつてどれだけの特徴を、種族の中に栽ゑ付けるものであるか」(346-17~18)は、1937年の「山立と山臥」の中で、修験道という異彩を放った信仰の歴史的発生を論じつつ、山伏の気質と習慣が日本人の気風に刻みつけた側面を探究すべきだと論じた(㉒484~485)ことと連なっている。「日本国民が古くから貯へて居た夢と幻との資... -
一箇のアヤといふ語を以て
1章3節346-20 「単に一箇のアヤといふ語を以て、心から心へ伝へては居たが(…)失神恍惚の間に於て、至つて細緻なる五色の濃淡配合を見て居た」(346-20~347-1)のおけるアヤとは、物の表面に現われたさまざまな形や模様で、特に斜めに交わった模様を指す。漢字で表わすと、彩、綾、絢、文などになるが、例えば「人生の―」といえば、表面的には見えないものの、辿ると見えてくる社会や世の中の入り組んだ仕組みを指している。柳田がここでアヤと表現したのは、初宮参りのあやつこ(額に墨付けされた交差する印)、あやご(宮古島の語りもの)、言葉の綾、綾言葉(真実に反して言葉を飾りたてる意である綺語)、あやかし(妖怪の古語)、あやかり(感化されて同じようになるの意)、あ... -
昂奮
1章3節347-7 1931年に発行された初版『世相篇』の索引には、「昂奮」という言葉が項目としてあげられ、本文の11ヵ所、下位項目の「人造の昂奮」1ヵ所と合わせると12ヵ所が指示されている。使われている箇所は、本文の広い範囲(1章、2章、4章、5章、7章、11章)にわたり、特に、第12章までの明治大正期の日常生活の質的な変化の問題点を記述していく章において使われており、ある程度自覚的に採用されている言葉の一つと考えられる。 そして、「昂奮」のこの初出箇所には、これらの箇所でどのような文脈でこの言葉が使われているかが端的に示されている。「褻と晴」というリズムを中心に展開していた暮らしでは、「昂奮」は「まれに出現」するものとして価値を有していたが、明治大正の... -
褻と晴の混乱
1章3節347-15 褻とは、普段の日常のことを意味し、それに対して晴とは特別な非日常を意味する。たとえば褻着と晴れ着とは、日常の服装と特別な時の装いの区別を表している。第1章では、それまで染色技術の限界により使うことができなかった色、宗教的な禁忌や忌みにより使えなかった色が、近代になって染色技術の発展や宗教的な縛りが弱くなっていくことで、「解放」され使えるようになったことが説かれる。身にまとうことができるようになった色が増えもたらされた選択の自由は、一方で従来の「褻と晴」の秩序の混乱でもあった。 相似的な議論は、第2章の食生活や、第7章の酒をめぐる議論にも見ることができる。 1980年代の都市民俗学以降、民俗学で『世相篇』が語られる際、この「褻... -
以前の渋いといふ味ひを懐かしく思ふ
1章3節347-16~17 社会/文化変化へのリアクションとして、過去への憧憬が発生するという議論は、日本の民俗学においては1980年代から90年代にかけてドイツ語圏民俗学のフォークロリスムス(フォークロリズム)という概念が紹介されてから、特に2000年代以降に関心を集めるようになった。とくに過去への憧憬に呼応して提供される表面的な昔風の演出をめぐる議論が蓄積されている。こうした現象の背景としては、急速な文化の変化や社会変動をその渦中で体験している人びとが抱く、現在への不安なり不満との関連が指摘されている(法橋量「記憶とフォークロリスムス」『記憶―現代民俗誌の地平3』朝倉書店、2003年。岩本通弥「都市憧憬とフォークロリズム」『都市とふるさと―都市の暮らし...
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