1章8節361-6
明治34年5月29日警視庁令第41号のことで、全文は、「「ペスト」予防の為東京市内に於ては住家内を除く外跣足にて歩行することを禁す。/本令に違背したる者は刑法第四百二十六条第四号により拘留又は科料に処す」(『警視庁東京府公報』)。
ペストはペスト菌による感染症。この禁令は、直接的には、同じ月に東京帝国大学構内において死んだネズミよりペスト菌が発見されたことにともなうものである。ただこの庁令は、その発令時から風俗取締との関係が注目されており、たとえば雑誌『風俗画報』には、「従来、車夫、馬丁、車力其の他職工等、労働者社界には、跣足にて市中を往来するもの多く、(…)跣足もとより未開の余風として端人の恥づべき所なり。今回は庁令を以て禁止すべく発布せられたれば、此の風俗は地を払ふて、未つ世の語草ともなりなむ」などとある(画報生「跣足禁止令の発布」『風俗画報』233号、1901年6月)。柳田も、1899年に実施された改正条約により、欧米諸国と「対等条約国」となった首都・東京の体面を重んじるという動機をそこに見いだしており、裸体や肌脱ぎの取締強化と関連させることで、跣足の禁止を、1872年の東京違式詿違(いしきかいい)条例以来の系譜に位置付けつつ、それが実質的には草鞋の奨励として機能したと説く。また、「斯ういふ人たちででも無いと、もうその頃には跣足では歩かなかった」とも述べ(361-13~14)、かつてはより広い人びとが跣足で歩いていたとするとともに、そうした変化が、法令ばかりによるものでないことにも注意を促し、本節での議論の前提としている。[山口]
→露出の美を推賞しなければならぬ機運、草鞋は通例足の蹠よりもずつと小さく、柳田國男の足元、素足、殿中足袋御免、下駄屋、所謂騒音