1章7節358-14~15
仕事着(野良着・労働着)の形態は、表1のように、(1)上半身・下半身につける衣服が分かれていない一部構成ワンピース式のものと、(2)上半身につける上衣と下衣が分かれる二部構成のものに大別され、後者はさらに①腰巻型②股引型③山袴型の三つに分けられた。「理由あつて中央の平坦部など」において仕事着が廃れたとは、大都市の衣生活の波及によって、裾を端折って襷がけをする普段着の転用が起きたという意味だろう。東北地方や山間部では山袴型が分布していたことから、当時、柳田の脳裏には周圏論的な型式学的広がりが想定されていたように思われる。第1次世界大戦後の1920年に文部省の半官半民の団体として設置された生活改善同盟会が、1931年に編纂した『農村生活改善指針』では、農村女性の仕事着として(2)③の山袴型のモンペが推奨されたが、第2次世界大戦の戦時下には、その着用が都市の女性一般にも「勤労奉仕の精神」を体現した徴として機能、普及してゆく。ただし、その着用には「含羞」や「冷い眼」が注がれていたことは、言うまでもない(飯田未希『非国民な女たち―戦時下のパーマとモンペ』中公選書、2020年)。[岩本]