全体に一つの強烈なる物音が、注意を他のすべてから奪ひ去るといふ事実は、色の勝ち負けよりも更に著しいものがあった

1章9節365-7~8

柳田が音に対する人びとの意識の問題を取り上げた早い時期の例として、『遠野物語』(1910年)の33話にある「白望の山に行きて泊まれば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋の頃茸を採りに行き山中に宿する者、よく此事に逢ふ。又谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞ゆることあり」という一文が挙げられる(②24)。「遠野物語拾遺」(1935年)の第164、236話にも「耳の迷い」「経験の一画期」と題して同様の話が収められているが、後者は1927年(昭和2)に飛行機が遠野上空を初めて飛んだ時のプロペラの音に対する人びとの反応を記したものである(②157~158)。この他にも、人びとが異様な音に注目していたことを示す話が、「山島民譚集(三)」(未刊自筆草稿、1969年刊行の『増補山島民譚集』に収録)の「第十 黄金の雞」における「雞の声は神意」に収められており、「未来の不安を深く感ずる者には些しく耳目に馴れない現象は悉く前兆として受けられ得る」としたうえで、村に異変がある際に太鼓のような音を発する太鼓石の話や除夜の晩に聞こえる轡の音などを取り上げている(②633~635)。『世相篇』が刊行された時期と最も近い「異様な音」をテーマとした柳田の文章としては、『山の人生』(1926年)における、「二七 山人の通路が事」、「二八 三尺ばかりの大草履の事」が挙げられ、後者には、「東京あたりの町中でも深夜の大鼓馬鹿囃子、或は広島などでいふバタバタの怪、始めて鉄道の通じた土地で、汽笛汽罐車の響を狐狸が真似するといふの類、凡そ異常に強烈な印象を与へたものが、時過ぎて再びまぼろしに浮ぶ例は、実は他にも数限りが無い」といったかたちで、『世相篇』でも取り上げている事例を紹介している(③580)[加藤]    

所謂騒音香道が疲るゝ嗅覚の慰藉であつたやうに音は欠くべからざる社会知識共同の幻覚