麻の第二の長処

1章5節353-8

麻から木綿へという素材の変遷は、特に「木綿以前の事」(1924年、⑨429~435)において議論された問題として知られている。ただし、「木綿以前の事」を巻頭に置く『木綿以前の事』(創元社、1939年、⑨)には、「何を着ていたか」(1911年、⑨436~444)、「女性史学」(1936年、⑨600~631)も収録されており、木綿が変えたものについて、柳田が人びとに繰り返し説いていたことが知れる。「女性史学」において、柳田は「是からの社会対策」のために「予め知つてかゝらねばならぬ歴史」という認識のもと、当時の衣類が日本の気候風土において不合理であることを指摘し、かといって立ち返ることのできない「木綿以前」の衣類として麻布の時代を捉えている(⑨610-3)

引き続き「女性史学」における柳田の議論を辿るならば、麻布、とくに常人の着物は「糸が太く布が強くて突張っていた」のであり、「丸々とした人のからだの表面との間に、小さな三角形の空間が幾らでも出来て居た」と述べられる(⑨607-14~15)。麻は熱の放散に優れ、高温多湿の気候にかなっていた。また、木綿に比べて水分を通しづらい性質から、東北地方では昭和初期まで、冬の防雪の上着として着用されていたという。「何を着ていたか」において、「麻布は肌着に冷たく当つて防寒の用には適せぬやうに思はれるが、細かい雪の降る土地では、水気の浸みやすい木綿を着るのはなほ不便だから、言はゞ我々の雨外套の代りに、麻布を着て雪を払つて居る」と述べられている(⑨438-10~12)

麻布のもう一つの長所を、柳田は同時に短所であると述べる。それは「長く持ちすぎる」ことである。木綿は早く悪くなっていくが、これによって、かえって「変化の趣味」を楽しむことができるという(⑨608-12)。一方、麻の短所、すなわちこれが木綿に取って代わられた理由は、一つには、木綿ほどには染色が自由ではなく、また、繊維が固いため、肌に心地のよいものではなく、衣装の輪郭も木綿ほどに身体の曲線やしぐさを表すことのできない点にあった。なぜ、人びとがそのように衣服に色彩を求めていったのかは、本章において説かれている通りである。

麻布の長所とは日本の風土に適するものであったという合理性にあり、短所とは人びとの審美的な関心の変化に応えることができなかった点であったと整理することができるだろう。[及川]

木綿の感化全国の木綿反物を、工場生産たらしむる素地麻しか産しない寒い山国でも~