昂奮

1章3節347-7

1931年に発行された初版『世相篇』の索引には、「昂奮」という言葉が項目としてあげられ、本文の11ヵ所、下位項目の「人造の昂奮」1ヵ所と合わせると12ヵ所が指示されている。使われている箇所は、本文の広い範囲(1章、2章、4章、5章、7章、11章)にわたり、特に、第12章までの明治大正期の日常生活の質的な変化の問題点を記述していく章において使われており、ある程度自覚的に採用されている言葉の一つと考えられる。

そして、「昂奮」のこの初出箇所には、これらの箇所でどのような文脈でこの言葉が使われているかが端的に示されている。「褻と晴」というリズムを中心に展開していた暮らしでは、「昂奮」は「まれに出現」するものとして価値を有していたが、明治大正の変化のなかで次第にその意義が薄れ、「褻と晴との混乱」を来し、現代人は「常に昂奮」しているのだと指摘する。その「まれに出現」していたという「昂奮」について、『世相篇』各所では、たとえば次のような話題が提供される。祭礼やその他の「晴の日」自体が「昂奮」の機会であり、特に酒という「人造の昂奮」をもたらすものの力を借りて「多数の人の気持を揃え」ようとしていたこと(7章1節475-13~476-7)、大勢の他人と共同で飲食する「昂奮」(2章8節389-12)、共同労働の、祭りにも似た「昂奮」(11章1節544-2)、そして旅にある者の「昂奮」(4章1節418-15)などである。

その「まれ」であった「昂奮」が、明治大正期に日常的になったという。第5章1節ではそれを「村の昂奮」と題し、「村の故郷の新たなる変化は、一言でいふならば昂奮の増加」であったと指摘する(5章1節440-3~442-1)。そこでは、主に村の暮らしを支える制度の近代化が取り上げられる。それまでの「不文の仕来り」とは異なり、受け止める側が「羽織袴の改まつた用意」をして迎えねばならないような「文字」と「形式」をともなったかたちで、新たな仕組みがもたらされ、常に「昂奮」しているような状態がつくられた。つまり、生活を支える制度の近代化自体が、「昂奮」をもたらし、またその制度が生み出す軋みや葛藤がさらなる「昂奮」を生んだのである。

そして、町ばかりが「新しい空気」を吸うことに対抗して、村も競って同じ書を読み講話を聴こうとし、結局、「流行」が「大きな町から」流れ込むことになったと指摘する。ここで、「昂奮」をめぐる議論は、『世相篇』のもう一つの重要な言葉である「流行」に接合する。  

ところで、近代的な生活の変化を「昂奮」として説明しているのは、柳田だけではない。柳田との直接的な関係は認められないが、たとえば、フランスの社会心理学者、ガブリエル・タルドに師事した京都帝国大学の社会学者・米田庄太郎(1873-1945)は、その著書、『現代人心理と現代文明』(京都弘文堂、1919年)で、「愛新性」という新しいものを有り難がる心理や、それにともなう精神的な「昂奮」についての議論を展開しており、それは「流行」や「昂奮」をめぐる『世相篇』における議論と重なりうるだろう。

また特に米田の『現代文化概論』(京都弘文堂、1924年)では、「現代文化人の心理」の特徴を「神経昂奮」と「神経衰弱」という考え方で説明している(239~241頁)。現代の企業家は、「無限的営利心」を満たすべく「無限的」に活動するため「神経が大いに興奮」する一方で、心身が「疲弊」し「神経衰弱」に陥っているとする。そして同様に、企業家に雇用される労働者も、「無限的」な活動を強いられ「神経が大いに興奮」するとともに、「衰弱」していると指摘する。明らかに、資本主義の仕組みのなかで生きる現代人の構造的な病理を「昂奮」と「衰弱」をキーワードにして説明しようとしている。

『世相篇』に見出すことができる、都市の「商人」が「流行」を生み出し、農村の暮らしがそれに「昂奮」し翻弄されるという構図も、同じ問題を説明しようとした、ほぼ同時代の問題意識を共有した言説として併置することもできるだろう。[重信]

日常+日常化蝶や小鳥の~別世界の消息の如くに解して居た異常なる心理の激動以前の渋いといふ味ひを懐かしく思ふ面白いといふのはもと共同の感激であつた一方の流行の下火は、いつと無く其外側の、庶民の層へ移つて行つた流行