重信幸彦– 執筆者 –
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紡績の工芸が国内に発達してくると共に
1章5節354-1 明治10年代中頃から、輸入綿の増加とともに紡績工場が全国に増えていく。そうなるともはや、人々はいちいち洗濯のたびに木綿に糊付けして、かつての麻の感触を保とうとするような手間を自らかけることなく、外部から与えられた木綿そのものの「湿って肌に付く」感触を受け入れるようになったというのである。 輸入綿と工場生産に押されるかたちで、木綿の自家生産が行われなくなっていった。遠藤武「衣服と生活」(渋沢敬三編『明治文化史 12 生活編』1950年所収、14~17頁)は、その間の経緯を次のように説明している。明治期の綿栽培は、1883年(明治16)の全国綿花作付面積9万9389・6町から、1897年(明治30)には4万4444町へと、半減していった。各地で綿作が中止さ... -
一種の中間性+モスリン
1章6節355-15 モスリンは、18世紀から19世紀にかけてヨーロッパで大流行した平織の綿染織物だったが、19世紀後半になると羊毛を使ったモスリンがつくられ、それが明治初期の日本に輸入されることになった。したがって日本でいうモスリンは、綿織物ではなくもっぱら毛織物を意味していた。そしてもともと洋装の素材だったモスリンは、それ以後日本では日常着用の和装の素材として普及することになった。 近代以降の日本におけるモスリンの普及について、先川直子(先川「近代日本におけるモスリン」(『目白大学短期大学部 研究紀要』47号、2011年)によりみていく。輸入されるモスリンの染の柄は日本の和装に合わず、型友禅の技術を使って染色を行うようになり、生地を輸入してローラ... -
音は欠くべからざる社会知識
1章9節365-4 生活のなかの音を、私たちが共有している知識ととらえ、音が、生活のありようと歴史を知るよりどころの一つとなることを説く斬新な発想を提示している。 1980年代以降に議論されはじめた、中世における鐘の音の社会的意味を問うた社会史(たとえば、アラン・コルバン『音の風景』藤原書店、小倉孝誠訳、1997年、笹本正治『中世の鐘・近世の鐘―鐘の音の結ぶ世界』名著出版、1990年、パウル・サルトーリ『鐘の本―ヨーロッパの音と祈りの民俗誌』八坂書房、吉田孝夫訳、2019年などや、または風景(ランドスケープ)と同様に、テクストとして街の音を読むことができるという考えかたに基づく「サウンドスケープ」論(たとえば鳥越けい子『サウンドスケープ―その思想と実践』鹿... -
下駄屋
1章8節363-5 遠藤武によると、1828年に刊行された『江戸買物独案内』には、草履屋や雪踏屋はあるものの、下駄屋の記載はなく、当時は、下駄は草履屋で売られ下駄専門店はなかったという。そして、幕末に至るまで都会では、主に草履が使われていたとしている(渋沢『生活編』65頁)。 西日本の下駄の一大産地の一つであった広島で下駄が生産されはじめたのは、18世紀末のことであり、19世紀初頭以降は、広島藩の産物統制政策により、広島城下の48軒の株組織にのみ小売りが制限されていた。広島の下駄が、京都から九州まで西日本一円に販路を拡大したのは、明治期以降に小売りが自由になってからであったという。特に明治の中頃から、松永(現福山市)で、油桐、針桐などの雑木を使って下... -
単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されているといふまでである
1章7節361-5 「選り好み」とは、すでに注釈した「好み」(1章3節)と、深く関連することばである。そこに「選ぶ」という要素が付け加えられることで、市場の仕組みのなかで「選択する」というふるまいがいっそう強調され、市場を通して流通する衣服に対する批判が含意されている。 ここでは、仕事着について触れ、洋装が入り変化が著しいように見えるものの、高温多湿の気候のなかで労働するための衣服としての改良が十分にほどこされてこなかったことを問い質している。「材料と色と形」のみが選択の幅を生み出しているだけで、仕事着として「まだ完成していない」という。それは、洋服を含めて、市場を通してもたらされる衣服は、利用者の生活が必要とする要素を十分に満たしていない... -
町の流行で無かつたといふこと
1章8節363-15 ここでは、『世相篇』でしばしば目にする、「流行」を批判的に捉える視点から、藁沓・藁草履など農家が自家で生産していた履物が衰退していった背景が説明されている。 「流行」という問題について正面から批判的に論じているのは、第13章第4節「流行の種々な経験」である。そこで柳田は、「趣味」と「流行」を対照的に位置づけ、次のように述べている。 「村々の生産が未だ盛んであつた当時には、人は心静かに我境遇の趣味といふものを保持してゐた。尠くとも現在の様に国の南の端と北の端とが、一時に同じ流行に巻き込まれて悦ぶと云ふ様な、不思議な現象は見なかつたのである。それが村の生産の大部分を商人資本に引渡すと、忽ち一切の好みが彼等の思はくに指定せられ... -
新旧雑処して残つて居たといふこと
1章8節363-17 第8節の最終パラグラフの最後の二つの文では、第7節の「単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されて居るといふまでである」(1章7節361-5)と呼応する、「流行」批判を踏まえた柳田が理想とする消費のありかたに関する議論が展開している。 私たちは、結局、あくまでも与えられた「流行」を、一見「自由に選り好み」しているにすぎず、「独立して各自の必要品」を自ら考えてこなかったことに反省を促す。しかし特に柳田は、そうした「流行」により「前のもの」が滅ぼされてしまはず、「新旧雑処して残つていた」ことが「好都合なこと」だったと述べ、うわべの「材料と色と形」のみの変化のなかで、なお「前のもの」が残っている状況を一つの可能性としてと... -
遠慮無く望むこと又困ることを表白し得るやうになつたとしたら
1章8節363-18~19 「各人が自分の境遇、風土と労作との実際に照らして、遠慮無く望むこと又困ることを表白」するとは、自分が抱え込んでいる問題を、「遠慮」してわが身独りの問題として黙って耐えるのではなく、自分と同じ問題にさいなまれている者が居るに違いないことを前提に、自らの問題と事情を他に向かって表明することを意味している。それが『世相篇』が説く生活改良の第一歩であった。この部分は、第1章第1節の「問題の共同」(342-17)と呼応している。 さらに「自分の境遇、風土と労作の実際に照らして」という物言いには、「問題」の背景は、地方ごとに、また営まれる生活のかたちごとに異なっており、一律の手段を当てはめて解決できるわけではないという『世相篇』を貫... -
真に自由なる選択
1章8節363-19 各人が「問題」と事情を「表白」することと、その「問題の共同」すなわち「問題」を共有することによって、改めて自分たちにとって本当に必要なものは何かを自省し判断していく可能性が生まれる。その時「前のもの」も「流行」するものとともに、なお残っていることに意味が出てくる。「前のもの」も新しい流行も含めて、生活が変わってきた歴史を知った上で、そこから「自分の境遇、風土と労作との実際に照らして」、自らにとって本当に必要かつ適切な「選択」ができると考えられているからである。 それを「真に自由なる選択」とし、前出の「単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されている」(1章7節361-5)にすぎない状況と対照的に提示しているのであ... -
生活を改良する望み
1章8節363-20 「真に自由なる選択」の末に目指されている「生活を改良する望み」は、『世相篇』全体が掲げている目標と重なり、最終章・第15章の「生活改善の目標」と響き合う。 第15章では、私たちが、互いにどのような問題を抱えているのか、他郷の人びととその暮らしを知るとともに、自らの暮らしをよりはっきりと自覚するという、「知る」ことを通して互いに問題を共有したもの同士が団結して「生活改善」に臨む可能性を掲げている(15章607-9~15)。 さらに、第10章第5節「商業の興味及び弊害」には、「流行」に流されない「消費」を、団結して達成する可能性について具体的に触れている次のような箇所がある。 「追々に消費生活の整理を計画する者が多くなつて、直接生産者と...
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