注釈– category –
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込み入つた調査
1章1節341-8~9 「調査」とは、いわゆる社会調査を念頭に置いた言葉。社会調査と目されるものは、横山源之助『日本の下層社会』(1899年)など明治期から存在するが、大正期に入ると、大原社会問題研究所(1919年創立)など民間の調査研究機関による調査活動に加え、内務省社会局(1920年設置)などの行政機関や、東京市をはじめとする地方団体による調査が行われるなど、「調査節」(添田唖蝉坊、1917年頃)で「明けても暮れても調査調査また調査」と揶揄された時代となり、1920年にははじめての国勢調査が実施された。それらと、『世相篇』における「新しい企て」(「自序」337-3)とは、扱う対象において重なる点があったことなどから、『世相篇』が何でないかを示す例として「調査... -
吾妻廻り
1章1節341-15 色音論とも呼ばれた『吾妻廻り』は、徳永種久よる1643年(寛永20)刊行の仮名草子であり、当時の江戸の流行や名所を紹介した、のちの吉原細見の祖とされる。椿の流行やウズラ(鶉)の鳴き声など、民間些事の単なる観察記にすぎない、この取るに足らない小書を、柳田がわざわざ冒頭でふれるのは、「眼に見耳に聞いたものを重んじた態度だけは好い」(342-11~12)からである。第4章「風光推移」の「山水と人」で「文学にも実は沢山の粉本があつた」(418-6)と述べるように、絵や文章などの手本となるものを重視する粉本主義から、感覚を解放し、「所謂埃箱の隅でも描いていゝといふ流儀」(418-11~12)よって、表現をも自由にさせる点を評価したのであり、そこから観察で... -
比較
1章1節342-7 柳田國男が構想した郷土研究(民俗学)は、常に「比較」することを求めていた。『世相篇』には、二種類の「比較」が説かれている。一つは、この「新しい現象」と「最近に過去の部に編入せられた今までの状態」とを比べ、各自の経験にもとづき生活の変化を理解する「比較」である。もう一つは、第15章で主張される、「地方は互ひに他郷を諒解すると共に、最も明確に自分たちの生活を知り、且つ之を他に説き示す必要を持つて居る」という、比較のダイナミズムの可能性である(667-11)。 前者を縦の比較とするなら、後者は横の比較ということになる。「縦の比較」は、歴史の専門家の力を借りずに歴史を構想するための手続きであり、「横の比較」は、問題を抱えたもの同志が大... -
門に祭をする
1章4節348-6 正月に際して門松等を用いて祝う習慣を指す。柳田は、「祭の木」(1950年『神樹篇』)において、門松が門前に設ける飾りのように誤解せられていることについて、「かど」は門のことではなく、家の表の広場であり、正月に際して神を依らせる屋内各所の松のうち、出入り口に設けるものを大きくしたに過ぎないと述べている(⑲590~591)。 今日、門松と称されるものは、御松様、正月様などと、かつては呼称も多様であり、今日のように購入されるものではなく、農村では「松迎え」などと称して、山から自ら採取してくるものであった。また、松や竹のみならず榊、葛、椿など、用いる植物も多様であった。また、門松もまた正月の神祭りと対応するものであり、歳神を迎える依り代... -
明治三十四年の六月に、東京では跣足を禁止した
1章8節361-6 明治34年5月29日警視庁令第41号のことで、全文は、「「ペスト」予防の為東京市内に於ては住家内を除く外跣足にて歩行することを禁す。/本令に違背したる者は刑法第四百二十六条第四号により拘留又は科料に処す」(『警視庁東京府公報』)。 ペストはペスト菌による感染症。この禁令は、直接的には、同じ月に東京帝国大学構内において死んだネズミよりペスト菌が発見されたことにともなうものである。ただこの庁令は、その発令時から風俗取締との関係が注目されており、たとえば雑誌『風俗画報』には、「従来、車夫、馬丁、車力其の他職工等、労働者社界には、跣足にて市中を往来するもの多く、(…)跣足もとより未開の余風として端人の恥づべき所なり。今回は庁令を以て禁... -
渋さの極致
1章5節351-14 すでに第3節に「渋いといふ味わひ」(347-16~17)が、また第4節には「陰鬱なる鈍色」(351-3)が出てくるが、鈍色(にぶ色)とはにび色ともいい、濃いねずみ色のことで、喪服などに用いられる。定本や講談社学術文庫版では、にびいろとルビが振られてある。渋さとは、柿渋や茶渋に対する味覚の表現から、渋い顔のような苦り切った表情に対してだけでなく、渋い演技のような、派手でなく落ち着いた趣があって、地味で深い味わいを指す場合にも用いられる点が、日本ならではの価値観・美意識だともいえる。具体的には、第3節の「樹蔭のやうなくすみを掛け、縞や模様までも出来るだけ小さくして居た」(345-16~17)が、これに相当する。この価値観・美意識が日本的なのは、... -
花木が庭前に栽ゑて賞せられる
1章4節348-9 柳田は花が先祖に供えられるもの、あるいは神に捧げられるものであることに着目し、「祭」「節句」を連想させるものだとしている。そしてこれが庭に栽えられるようになったのは、「酒が遊宴の用に供せられるに至った」のと軌を同じくするとしているが、信仰と結びついていた花と酒が、娯楽の場に取り入れられた過程に注目していたことが窺える。寺や神社などの霊地に古木が存在することや、日常的な労働の場である庭の片隅に花木を栽えて「特別な作業即ち季節毎に神を迎へる場」とする行為の背景に、信仰の影響を想定する視点は、「しだれ桜の問題」(1936年『信州随筆』⑨22)などにも見られる。なお理由は様々だが、庭に植えることが忌まれる花木も多く、その数は確認され... -
季節信仰
1章5節351-15 季節信仰は民俗学においても耳慣れない表現であるが、往々にして、民俗信仰は年中行事のなかで特定の季節(感)と対応するものであった。そのような四季折々の行事に際して使用される花々は、その折に採取できるものと対応しており、同時にそれはその行事の色彩的イメージを構成するものであったといえるだろう。季節信仰の超越とは、色彩の解放によってもたらされる「季節-色彩-信仰」関係の変質ないし崩壊と理解することができるだろう。[及川] →花見、四月始には~村々の習はし、盆花、門に祭をする、花木が庭前に栽ゑて賞せられる、赤い花 -
国風
1章6節354-7 今日では「くにぶり」あるいは「こくふう」と読ませるのが普通であろうが、「くにふう」とルビが振られている(定本や平凡社東洋文庫版、講談社学術文庫版、中公クラシックス版などには、ルビはなし)。原典の朝日新聞社版や全集には、第2章の「肉食の新日本式」でも(2章7節388-9)にも、「くにふう」とルビがあって、誤字・誤植ではない蓋然性が高い。「くにぶり」「こくふう」と読ませると、原義の「地方の習俗」を想起させるためか、ナショナルな国レベルの習俗や日本風の文化の総体(あるいは世相)を指示して、そう訓じたのだと推察することもできる。『世相篇』には5ヵ所に「国風」が登場するが、全集では残り3ヵ所にはルビは振れられていない(2章2節372-3、6章2節... -
好み
1章3節345-13 第1章、第2章では、「好み」「好み嫌い」「好き嫌い」などのことばが頻出する。『世相篇』における明治大正期の消費と生産をめぐる生活の構造的変容をめぐる議論のなかで使われる、この「好み」ということばは、近代的な市場経済を駆動する消費者の行動を表す「選好」という経済学の概念に重ねて理解することもできるだろう。 「好み」は、私たちの消費生活における生理的な欲求や、機能的な必要性とは異なる欲望をも可視化する。たとえば柳田が指摘する、色に飽きてまだ着られる服を着なくなるような私たちのありようをもとらえることができる。「好み」ということばで、『世相篇』は、決して合理的でも理性的でもない、ある意味で感覚的な消費を問うことを可能にしたの...