注釈– category –
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真に自由なる選択
1章8節363-19 各人が「問題」と事情を「表白」することと、その「問題の共同」すなわち「問題」を共有することによって、改めて自分たちにとって本当に必要なものは何かを自省し判断していく可能性が生まれる。その時「前のもの」も「流行」するものとともに、なお残っていることに意味が出てくる。「前のもの」も新しい流行も含めて、生活が変わってきた歴史を知った上で、そこから「自分の境遇、風土と労作との実際に照らして」、自らにとって本当に必要かつ適切な「選択」ができると考えられているからである。 それを「真に自由なる選択」とし、前出の「単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されている」(1章7節361-5)にすぎない状況と対照的に提示しているのであ... -
言論の如きは音声の最も複雑にして又微妙なるものである。是が今までさういふ形式を知らなかった人々を、実質以上の動かし得たのも已むを得なかつた
1章9節365-20~366-1 音声とあることから、言論とは主として演説のことであろう。『福沢全集緒言』(1897年)や『明治事物起源』(1908年)などから、明治初期に演説という形式が出現してきたことはよく知られており、柳田は、『国語の将来』(1934年⑩)をはじめ各所で演説に言及する。演説は、聞こえのよさを主眼とした付け焼刃で、型にはまった空疎なものであり、言葉の力はないに等しいとし、座談の名人である原敬に永遠の印象をとどめた演説のないことから、「日本語そのものが、未だ我々の内に輝き燃えるものを、精確に彩色し得るまでに発達して居ない結果ではあるまいか」と考えた(「国語の管理者」1927年、㉗208-3~5)。しかしこれは「余りにも頻繁なる刺激の連続によつて、こ... -
生活を改良する望み
1章8節363-20 「真に自由なる選択」の末に目指されている「生活を改良する望み」は、『世相篇』全体が掲げている目標と重なり、最終章・第15章の「生活改善の目標」と響き合う。 第15章では、私たちが、互いにどのような問題を抱えているのか、他郷の人びととその暮らしを知るとともに、自らの暮らしをよりはっきりと自覚するという、「知る」ことを通して互いに問題を共有したもの同士が団結して「生活改善」に臨む可能性を掲げている(15章607-9~15)。 さらに、第10章第5節「商業の興味及び弊害」には、「流行」に流されない「消費」を、団結して達成する可能性について具体的に触れている次のような箇所がある。 「追々に消費生活の整理を計画する者が多くなつて、直接生産者と... -
外国の旅人は日本に来て殊に耳につくのは、樫の足駄の歯の舗道にきしむ音だと謂つた
1章9節366-9~10 グラバー邸内のコールタール舗装(1863年)、銀座煉瓦街における煉瓦舗装(1873年)、神田昌平橋のアスファルト舗装(1878年)などはあったが、日本で舗道が普及しはじめるのは20世紀前半である。1919年制定の道路法に基づく内務省令第25号「街路構造令」に「主要なる街路の路面は(…)適当なる材料を以て之を舗装すへし」と規定され、同年制定の都市計画法により街路事業が進められたこと、1923年の関東大震災後の復興事業が国と東京市の双方で実施されたこと、自動車保有台数が増加したことなどが背景にある。コンクリート舗装とアスファルト系の簡易舗装とがあり、1930年には東京市の道路総面積440万坪の55%が舗道になった。すなわち、樫の足駄の舗道にきしむ音は...