注釈– category –
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全体に一つの強烈なる物音が、注意を他のすべてから奪ひ去るといふ事実は、色の勝ち負けよりも更に著しいものがあった
1章9節365-7~8 柳田が音に対する人びとの意識の問題を取り上げた早い時期の例として、『遠野物語』(1910年)の33話にある「白望の山に行きて泊まれば、深夜にあたりの薄明るくなることあり。秋の頃茸を採りに行き山中に宿する者、よく此事に逢ふ。又谷のあなたにて大木を伐り倒す音、歌の声など聞ゆることあり」という一文が挙げられる(②24)。「遠野物語拾遺」(1935年)の第164、236話にも「耳の迷い」「経験の一画期」と題して同様の話が収められているが、後者は1927年(昭和2)に飛行機が遠野上空を初めて飛んだ時のプロペラの音に対する人びとの反応を記したものである(②157~158)。この他にも、人びとが異様な音に注目していたことを示す話が、「山島民譚集(三)」(未刊... -
単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されているといふまでである
1章7節361-5 「選り好み」とは、すでに注釈した「好み」(1章3節)と、深く関連することばである。そこに「選ぶ」という要素が付け加えられることで、市場の仕組みのなかで「選択する」というふるまいがいっそう強調され、市場を通して流通する衣服に対する批判が含意されている。 ここでは、仕事着について触れ、洋装が入り変化が著しいように見えるものの、高温多湿の気候のなかで労働するための衣服としての改良が十分にほどこされてこなかったことを問い質している。「材料と色と形」のみが選択の幅を生み出しているだけで、仕事着として「まだ完成していない」という。それは、洋服を含めて、市場を通してもたらされる衣服は、利用者の生活が必要とする要素を十分に満たしていない... -
厚地綾織類の詰襟~これにも何かは知らず一つ/\の理由は有つたので
第1章7節361-3~4 厚地綾織の詰襟とは学生服を想起すればよいだろう。このような風土や気候に適っていない不合理なものを生み出したことも、柳田は何らかの理由があると捉えており、一つ一つの理由とは、「久しい行掛り」(359-16)という文言と、深く響き合っている。『郷土生活の研究法』では「尚無数の仕来りと行掛りとが、我々の身辺を囲繞して居る」(⑧216-16)と述べるが、そのまなざしは「仕来り」のみならず、「行掛り」という過去の人びとの経験の総体が、現在の人びとを拘束するとして含め論じている。例えば第3章4節「寝間と木綿夜着」で、閉鎖的な納戸(寝間)に木綿蒲団が移入されたことが、衛生吏員などが気に留める、肺結核を流行させたと示唆するように(404-8~10)、... -
足を汚すまいとする心理
1章8節363-8 →足を沾らす+足を汚す -
共同の幻覚
1章9節365-11 山神楽、天狗倒しは山中で祭りの音曲や伐木の音が聞こえてくるというもので、天狗や狸のしわざとする語り伝えが多い。これらの音の「幻覚」について、「よほど以前に私はこれを社会心理の一問題として提供して置いた」とあるのは、「山人考」(1917年『山の人生』、③595~608)を指している。そこで柳田は「常は聴かれぬ非常に印象の深い音響の組合せが、時過ぎて一定の条件の下に鮮明に再現するのを、其時又聽いたやうに感じたものかも知れず、社会が単純で人の素養に定まつた型があり、外から攪乱する力の加はらぬ場合には、多數が一度に同じ感動を受けたとしても少しも差し支えは無いのでありますが、問題はたゞ其幻覚の種類、之を実験し始めた時と場処、又名けて天狗... -
造り酒屋
1章9節365-14 第7章「酒」第2節「酒屋の酒」を参照のこと。[及川] -
町の流行で無かつたといふこと
1章8節363-15 ここでは、『世相篇』でしばしば目にする、「流行」を批判的に捉える視点から、藁沓・藁草履など農家が自家で生産していた履物が衰退していった背景が説明されている。 「流行」という問題について正面から批判的に論じているのは、第13章第4節「流行の種々な経験」である。そこで柳田は、「趣味」と「流行」を対照的に位置づけ、次のように述べている。 「村々の生産が未だ盛んであつた当時には、人は心静かに我境遇の趣味といふものを保持してゐた。尠くとも現在の様に国の南の端と北の端とが、一時に同じ流行に巻き込まれて悦ぶと云ふ様な、不思議な現象は見なかつたのである。それが村の生産の大部分を商人資本に引渡すと、忽ち一切の好みが彼等の思はくに指定せられ... -
酒造りの歌
1章9節365-15 かつての社会において、各種の仕事における合同作業には、作業の苦労をやわらげ、また、一心に協力する手段として仕事唄が伴った。「口承文芸とは何か」(1932年『口承文芸史考』、⑯)では、民謡の発生を用意した前代の文化のひとつとして仕事唄が取り上げられ、工場唄、草刈唄、茶摘唄、田植唄等への言及がある(⑯413~414)。 各地の造り酒屋でも、杜氏たちが酒造りの各工程において、共同作業の調子をあわせるために各種の唄を歌った。[及川] →共同の幻覚 -
新旧雑処して残つて居たといふこと
1章8節363-17 第8節の最終パラグラフの最後の二つの文では、第7節の「単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されて居るといふまでである」(1章7節361-5)と呼応する、「流行」批判を踏まえた柳田が理想とする消費のありかたに関する議論が展開している。 私たちは、結局、あくまでも与えられた「流行」を、一見「自由に選り好み」しているにすぎず、「独立して各自の必要品」を自ら考えてこなかったことに反省を促す。しかし特に柳田は、そうした「流行」により「前のもの」が滅ぼされてしまはず、「新旧雑処して残つていた」ことが「好都合なこと」だったと述べ、うわべの「材料と色と形」のみの変化のなかで、なお「前のもの」が残っている状況を一つの可能性としてと... -
遠慮無く望むこと又困ることを表白し得るやうになつたとしたら
1章8節363-18~19 「各人が自分の境遇、風土と労作との実際に照らして、遠慮無く望むこと又困ることを表白」するとは、自分が抱え込んでいる問題を、「遠慮」してわが身独りの問題として黙って耐えるのではなく、自分と同じ問題にさいなまれている者が居るに違いないことを前提に、自らの問題と事情を他に向かって表明することを意味している。それが『世相篇』が説く生活改良の第一歩であった。この部分は、第1章第1節の「問題の共同」(342-17)と呼応している。 さらに「自分の境遇、風土と労作の実際に照らして」という物言いには、「問題」の背景は、地方ごとに、また営まれる生活のかたちごとに異なっており、一律の手段を当てはめて解決できるわけではないという『世相篇』を貫...