岩本通弥– 執筆者 –
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男ばかりが護謨の長靴などを穿いて、女はどうでもせよと棄てゝ置くらしいのは悪いと思ふ
第1章7節360-5~7 ゴム長靴が高価な購入品であって、一家全員が利用するまでには至っていないことを表現するとともに、先に女性の機能的な仕事着が長い間考案されずに来たことを批判したのと同様に、足元も女性の履物が考案されずにいることを、暗に批判していた文章である。柳田は家庭内における不平等を、近代に至ってむしろ家父長権の強まりによってもたらされたものだと考えており、1936年の「女性史学」(『木綿以前の事』所収)では「婦人参政権の問題は(…)やがて又起るにきまつて居る。今日の婦人は(…)果して国の政治に参画して、女で無くては出来ぬ様な社会奉仕を、為し得るだけに支度せられて居るかどうか」と論じている(⑨602)。第8章「恋愛技術の消長」や、第13章「伴... -
靴は其の本国では脱ぐ場所が大よそ定まつて居る~我々の家では玄関の正面で、是と別れるやうな構造が出来て居る
1章7節360-8~10 ドイツやデンマーク・北欧などでは家の入口で靴を脱ぐのが一般化しつつあるが、欧米では基本的に寝室のクローゼットかベッドまで靴は脱がない。ただし、その状況は刻々と変化しており、日本では玄関口や上がり框で履物を100%脱ぐのに対し、欧米では靴を100%は脱がないわけではないといったところだろうか。だが、家の入口で脱ぐからといってドイツなどの家に、構造上、日本の玄関のような設えがあるわけではない。家のドアは単なるエントランスに過ぎず、日本のように段差があるわけでもなく、装飾は至ってシンプルである。その出入り口に土間はなく、マットレスが敷かれる程度である。一方、欧米や中国・韓国の邸宅では、塀で敷地が囲われて、ゲートもあって、家屋... -
厚地綾織類の詰襟~これにも何かは知らず一つ/\の理由は有つたので
第1章7節361-3~4 厚地綾織の詰襟とは学生服を想起すればよいだろう。このような風土や気候に適っていない不合理なものを生み出したことも、柳田は何らかの理由があると捉えており、一つ一つの理由とは、「久しい行掛り」(359-16)という文言と、深く響き合っている。『郷土生活の研究法』では「尚無数の仕来りと行掛りとが、我々の身辺を囲繞して居る」(⑧216-16)と述べるが、そのまなざしは「仕来り」のみならず、「行掛り」という過去の人びとの経験の総体が、現在の人びとを拘束するとして含め論じている。例えば第3章4節「寝間と木綿夜着」で、閉鎖的な納戸(寝間)に木綿蒲団が移入されたことが、衛生吏員などが気に留める、肺結核を流行させたと示唆するように(404-8~10)、...