第1章第7節– category –
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新らしい洋服主唱者にもし不親切な点があるとすれば、強ひてこの久しい行掛りと絶縁して、自分等ばかりで西洋を学び得たと、思つて居ることがやゝそれに近い
1章7節359-16~17 近代における洋装の提唱は合理性の追求と和装への批判と連動していたが、生活への洞察を欠き、庶民にまでは普及しなかった。これらを上流中流の人びとによる素朴な西洋主義として批判するのがここでの柳田の発言である。 そもそも、女性の洋装は鹿鳴館時代に上層階級の婦人の衣装として出現し、洋裁教育も興隆していくが、この時期、洋服で外出するのは中流以上の家庭の女性であった。この時期から、和服の不合理性が指摘され、衣服改良運動が女性誌上で展開され、改良服の考案が進められる。ただし、これらは庶民にまでは浸透しなかった。大正期の生活改善運動においても和服の不合理性が指摘され、服装改善運動が展開される。大正期には職業婦人の増加に伴い、洋服... -
男ばかりが護謨の長靴などを穿いて、女はどうでもせよと棄てゝ置くらしいのは悪いと思ふ
第1章7節360-5~7 ゴム長靴が高価な購入品であって、一家全員が利用するまでには至っていないことを表現するとともに、先に女性の機能的な仕事着が長い間考案されずに来たことを批判したのと同様に、足元も女性の履物が考案されずにいることを、暗に批判していた文章である。柳田は家庭内における不平等を、近代に至ってむしろ家父長権の強まりによってもたらされたものだと考えており、1936年の「女性史学」(『木綿以前の事』所収)では「婦人参政権の問題は(…)やがて又起るにきまつて居る。今日の婦人は(…)果して国の政治に参画して、女で無くては出来ぬ様な社会奉仕を、為し得るだけに支度せられて居るかどうか」と論じている(⑨602)。第8章「恋愛技術の消長」や、第13章「伴... -
靴は其の本国では脱ぐ場所が大よそ定まつて居る~我々の家では玄関の正面で、是と別れるやうな構造が出来て居る
1章7節360-8~10 ドイツやデンマーク・北欧などでは家の入口で靴を脱ぐのが一般化しつつあるが、欧米では基本的に寝室のクローゼットかベッドまで靴は脱がない。ただし、その状況は刻々と変化しており、日本では玄関口や上がり框で履物を100%脱ぐのに対し、欧米では靴を100%は脱がないわけではないといったところだろうか。だが、家の入口で脱ぐからといってドイツなどの家に、構造上、日本の玄関のような設えがあるわけではない。家のドアは単なるエントランスに過ぎず、日本のように段差があるわけでもなく、装飾は至ってシンプルである。その出入り口に土間はなく、マットレスが敷かれる程度である。一方、欧米や中国・韓国の邸宅では、塀で敷地が囲われて、ゲートもあって、家屋... -
単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されているといふまでである
1章7節361-5 「選り好み」とは、すでに注釈した「好み」(1章3節)と、深く関連することばである。そこに「選ぶ」という要素が付け加えられることで、市場の仕組みのなかで「選択する」というふるまいがいっそう強調され、市場を通して流通する衣服に対する批判が含意されている。 ここでは、仕事着について触れ、洋装が入り変化が著しいように見えるものの、高温多湿の気候のなかで労働するための衣服としての改良が十分にほどこされてこなかったことを問い質している。「材料と色と形」のみが選択の幅を生み出しているだけで、仕事着として「まだ完成していない」という。それは、洋服を含めて、市場を通してもたらされる衣服は、利用者の生活が必要とする要素を十分に満たしていない... -
厚地綾織類の詰襟~これにも何かは知らず一つ/\の理由は有つたので
第1章7節361-3~4 厚地綾織の詰襟とは学生服を想起すればよいだろう。このような風土や気候に適っていない不合理なものを生み出したことも、柳田は何らかの理由があると捉えており、一つ一つの理由とは、「久しい行掛り」(359-16)という文言と、深く響き合っている。『郷土生活の研究法』では「尚無数の仕来りと行掛りとが、我々の身辺を囲繞して居る」(⑧216-16)と述べるが、そのまなざしは「仕来り」のみならず、「行掛り」という過去の人びとの経験の総体が、現在の人びとを拘束するとして含め論じている。例えば第3章4節「寝間と木綿夜着」で、閉鎖的な納戸(寝間)に木綿蒲団が移入されたことが、衛生吏員などが気に留める、肺結核を流行させたと示唆するように(404-8~10)、...
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