第1章第2節– 注釈一覧 –
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今沢市
1章2節343-8 明治初年に創作された浄瑠璃『壺坂霊験記』の主人公の座頭・沢市が、観音の霊験で開眼したストーリーを持つことから、今・沢市と呼ばれた。聞藏Ⅱで沢市を検索すると、「アメリカの沢市/突然目は開いたお里のお婆さんに驚く」(1928年3月19日)のみヒットする。[岩本] -
色の種類に貧しい国
1章2節344-1 第6節で論じられる「和田三造画伯の色彩標本は五百ださうだ」(356-18)のように、日本では色彩は豊かでありながら、色名が少なかったことは、和田三造の研究か教示に依ったのであろう。最初に出てくる「日本は元来甚しく色の種類に貧しい国であつた」(344-1)というのは、たぶん記紀に登場する色が白・黒・紅・赤・丹・青の6色にすぎなかったということや、『延喜式』に記載された色相が38色であることに基づいている(内田広由紀『定本和の色事典増補特装版』視覚デザイン研究所、2008年)。また「少しちがつたものは悉く外国の語を借りている」(344-3)とは、くれない(呉の藍)、からくれない(唐紅・韓紅)、べんがら(紅殻、ベンガル)などを指している。えんじ色... -
染物師
1章2節344-17 「染物師は其中でも比較的新しい出現」(344-17)というのは、草木染めや渋柿染めなどの天然染料で、自ら染める手染(344-18)があまねく中に現われた、紺屋のことを指している。近世、麻に代って棉の栽培が広まるにつれ、次第に藍染めが発達し、当初町住みで渡り歩きの多かった紺屋が、村に定住し始めた。『都市と農村』で「染物師が民間染料の尚盛んに用ゐられる時代に入つて来て、秘伝と花やかなる出来上りとを以て、僅かな期間に農村の嗜好を一変させ、その独自の地盤を開拓した」(「職人の都市に集まる傾向」④244-13~14)と述べるように、村々に定着した染物屋は、錬金術師や魔法使いのように特殊な能力を持つ者として、当初、異人視された。その屋敷跡を、紺屋屋... -
別に第二のそれよりも珍しく、また上品なるもの
1章2節344-19~20 「別に第二の、それよりも珍しく」と読点を加えて読めば、ここでいう「それ」を「禁色の制度」(344-17)の代名詞と捉えられ、この制度的拘束を超える技術、条件をもちつつも、それを具現化、通俗化しなかった理由として、「之を制抑して居た力」(345-2)であるところの第二の禁色、すなわち「天然の禁色」が潜んでいると想定されていることになる。[田村] →拘束、単に材料と色と形とが、自由に選り好みすることを許されているといふまでである、新旧雑処して残つて居たといふこと
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