1章4節348-6
正月に際して門松等を用いて祝う習慣を指す。柳田は、「祭の木」(1950年『神樹篇』)において、門松が門前に設ける飾りのように誤解せられていることについて、「かど」は門のことではなく、家の表の広場であり、正月に際して神を依らせる屋内各所の松のうち、出入り口に設けるものを大きくしたに過ぎないと述べている(⑲590~591)。
今日、門松と称されるものは、御松様、正月様などと、かつては呼称も多様であり、今日のように購入されるものではなく、農村では「松迎え」などと称して、山から自ら採取してくるものであった。また、松や竹のみならず榊、葛、椿など、用いる植物も多様であった。また、門松もまた正月の神祭りと対応するものであり、歳神を迎える依り代であったという解釈が一般に膾炙している(「門松」『民俗学辞典』東京堂出版、1951年、113頁)。柳田もまた上記「祭の木」で「家々の春の神は松の木に依つて、降りて来られるものゝやうに、理屈は無しに親々に教へられてゐた」と述べている(⑲591~592)。しかし、柳田はこれを文化の古態とはみていない。「これからの正月」において門松は「近代の流行から盛んになった」と述べられており(1949年『新たなる太陽』、⑳181)、また「新年懐古」では「門松はつまり正月に降りたまふ神々と、この貴い穀物を相饗する式作法」であったものが、年木からの連想によって「松を年神の依りたまふ木と考へ出し」たと解釈している(1940年『新たなる太陽』、⑳177)。門松を依り代とみる解釈も変遷の結果であると見なされている点は注意を要しよう(岩本通弥「可視化される習俗―民力涵養運動期における「国民儀礼」の創出」『国立歴史民俗博物館研究報告』141号、2008年)。