問題の共同

1章1節342-17

「純然たる彼らの事件というものは、実際は非常に少ないのである」という数行前のフレーズは、個にのみが責任と解決を負わされる問題はない、という『世相篇』の基本的な姿勢を言い表している。この「問題の共同」はその姿勢を示すことばであり、明治大正期における新たな貧困のかたちとして、零落が一個の家であり個人の問題として現れる、孤立をともなった貧困、「孤立貧」の存在を指摘する第12章第5節で、「異郷他人の知識が今少し精確になり、屢々実情の相似て居る貧窮が、地をかへ時を前後して発現して居ることを学ぶのが、今では自己救済の第一着の順序となつて居る」(第12章第5節570-5~6)と主張する一文と呼応している。そして最終の第15章では、この「孤立貧」に立ち向かう一つの可能性として、互いを知ることを通して、同じ問題を抱えたもの同志が「団結」して変革に臨むことの可能性が説かれているのである。この「問題の共同」は、『世相篇』に通底するキーワードの一つといえる。[重信]   

歴史は他人の家の事績を説くものだ~拘束遠慮無く望むこと又困ることを表白し得るやうになつたとしたら真に自由なる選択