1章1節342-10~11
「文明批評家」とは、文明を批評することを業とし、主に論壇で活動する人のこと。もっとも、ここでは、「同じ流に浮ぶ者」の「外部」に位置し、そこから世相を論断する人物というより広い意味に用いられており、「一個特殊の地位に在る観察家の論断」(「自序」339-18)と同じものを指す。「鴨の長明とか吉田兼好とかいふ世捨人」以外に具体的な人名の例示はないが、高山樗牛(1871-1902)や長谷川如是閑(1875-1969)、さらには大宅壮一(1900-1970)あたりを念頭に置いた語と思われる。
そしてそれが「外部の」ものであることに、ここでの力点はある。柳田は、「外部の文明批評家」による論断を鵜呑みにする態度をみじめと評し、「実験の歴史」を試みようと提案する。そうした試みをする背景として、「外部の文明批評家」の代表格としてしばしば引照される外国人の観察に、少なからぬ誤りがあるとの柳田の認識があった。この点は、たとえば日本国籍を取得して小泉八雲と名乗ったラフカディオ・ハーン(1850-1904)についても例外ではなく、第3章冒頭の「家と住心地」で言及する際も、その誤りを指摘することを、柳田は忘れていない(393-1~5)。「外部の文明批評家」の典型ともいうべき外国人の観察に対置できる像を提示することは、「実験の歴史」の意義を示すものでもあり、このあとも「外国旅客の見聞記」や「外国の旅人は~」などの記述を通じて、本章全体で行われているように、本章、さらには本書のひとつのモチーフとなっている。[山口]
→同じ流に浮ぶ者、物遠い法則、込み入つた調査、実験の歴史、外国旅客の見聞記、花作り、外国の旅人は日本に来て殊に耳につくのは~