1章1節341-15
色音論とも呼ばれた『吾妻廻り』は、徳永種久よる1643年(寛永20)刊行の仮名草子であり、当時の江戸の流行や名所を紹介した、のちの吉原細見の祖とされる。椿の流行やウズラ(鶉)の鳴き声など、民間些事の単なる観察記にすぎない、この取るに足らない小書を、柳田がわざわざ冒頭でふれるのは、「眼に見耳に聞いたものを重んじた態度だけは好い」(342-11~12)からである。第4章「風光推移」の「山水と人」で「文学にも実は沢山の粉本があつた」(418-6)と述べるように、絵や文章などの手本となるものを重視する粉本主義から、感覚を解放し、「所謂埃箱の隅でも描いていゝといふ流儀」(418-11~12)よって、表現をも自由にさせる点を評価したのであり、そこから観察できる共有化される事実を重視する「実験の歴史」を立ち上げようと提言している。[岩本]