1章1節341-6
世相の全容を知ることの困難を説くこの言葉は、柳田國男の学問の基本的な性格と連動している。世相を見定めることはなぜ困難で、また、なぜその方法がここで説かれる必要があったのだろうか。世相を知ることの困難は、観察者が対象のなかに一生活者としてあらかじめ埋め込まれていることに起因する。それは時として自明に過ぎ、対象として認識することが難しい。直後に鴨長明や吉田兼好などの「世捨人」の名があげられているが、柳田の説こうとするものは「世捨人」になることなく世相を把握するための方法であったと理解できる。ここでは「最近に過去の部に編入せられた今までの状態」との「比較」が、つかみ取りがたい世相を可視化する実験として提案されている。
言うまでもなく、「同じ流に浮ぶ者」としてその流れのあり方を見極めようとすることは、柳田の「自己内部の省察」(『郷土生活の研究法』1935年、⑧216-10)の学への志向とも接続している。[及川]
→比較、実験の歴史、外部の文明批評家、歴史は他人の家の事績を説くものだ~、拘束、外国の旅人は日本に来て殊に耳につくのは~