買縞

1章6節354-15

注文によって織らせた縞織物でなく、店で買う既製の縞織物のことで、安っぽい出来あいのものを意味する。「縞は外国から入つて来た流行らしい」(355-2)とは、古くは日本語にその名はなく、平行の縞模様は、筋や条、段、また縦横に交差するものを格子と呼んでいた。16世紀以降、南方からの舶載品として縞地の織物が流行し、これを「島渡り」「島物」などと呼んだことから転じて、複数の線から成る文様を「縞」と呼ぶようになったが、江戸前期には縦縞は遊女などが用いる異装に属する意匠と見なされ、横縞が主であった(丸山伸彦「縞」『江戸のきものと衣生活』小学館、2007年)。第3節に「縞や模様までも出来るだけ小さくして居た。さうして是が亦衣裳以外の、種々なる身のまはりの一種の好みであつたことは、以前は町方も村と異なる所が無かつた」(345-17~18)とあるのは、千鳥格子や市松模様などの文様を指している。日本では祝事や凶事の祭場や、軍陣や殿舎などの周囲を張り巡らす幔幕(まんまく)も、縞模様であることが多いように、縞柄には特別な領域を示す機能があり、このような囲う幔幕を屏幔(へいまん)と呼ぶ。葬儀などで用いる白黒の縞柄の幕は、鯨幕(くじらまく)と呼ばれるが、慶事の紅白幕とともにそれらの色柄が定着するのは、昭和初期からとされる。西欧では中世、縞模様は「悪魔の布」と見なされ、売春婦、死刑執行人、旅芸人、道化師、笛吹き男などが身につけた異端の象徴だったが(20世紀になってもしばしば囚人服に横縞が用いられた)、フランス革命の三色旗以降、肯定的な文様となって、18世紀にはファッションとしてストライプが爆発的に拡がった(ミシェル・パストゥロー『悪魔の布-縞模様の歴史』白水社、松村剛・松村恵理訳、1993年=1991年)[岩本]

縞を知らない国々との交際