1章8節363-20
「真に自由なる選択」の末に目指されている「生活を改良する望み」は、『世相篇』全体が掲げている目標と重なり、最終章・第15章の「生活改善の目標」と響き合う。
第15章では、私たちが、互いにどのような問題を抱えているのか、他郷の人びととその暮らしを知るとともに、自らの暮らしをよりはっきりと自覚するという、「知る」ことを通して互いに問題を共有したもの同士が団結して「生活改善」に臨む可能性を掲げている(15章607-9~15)。
さらに、第10章第5節「商業の興味及び弊害」には、「流行」に流されない「消費」を、団結して達成する可能性について具体的に触れている次のような箇所がある。
「追々に消費生活の整理を計画する者が多くなつて、直接生産者との取引の有利を認め始めた。(…)産業組合の聯絡は段々に中間機関の省略し得るものであつたことを実験せしめて来た。殊に農村の購買組合が、最初に買入れなければならぬ製造品の種目と数量とをきめてかゝるといふことは、今後の工業に対する新たなる一つの指導であつた。」(10章5節541-14~17)
この「消費生活の整理」とは、「流行」を押売りされるのではなく、「真に自由なる選択」を目指すことであり、言及された産業組合や農村の購買組合は、問題を抱えた者同士の団結の組織として位置づけられていたといえるだろう。そしてその団結を通して、自分たちにとって必要なモノの「種目と数量」を提示することが、工業生産そのものを指導することにつながる、すなわち消費の場から生産の構造そのものを改良していく可能性があることを指摘しているのである。[重信]