明治年代の一大事實

1章4節349-15

近代以前から日本における帰化植物は徐々に、その数を増やしたと考えられるが、開国以降、爆発的にその種類は増加した。横浜や神戸の来日外国人が設立した商社は、日本から多くの植物を欧米に輸出し、それとともに海外から洋種花卉の導入にも努めている。明治初期の東京では江戸川、多摩川の土手で花の取引が行われており、国内で花卉類の輸出入を目的とする横浜植木商会、新井清太郎商店などが設立されたのは明治中頃である。主要な園芸植物の多くはこの時代に導入された。明治後期から大正期にかけては、各地で花問屋が活動するようになり、花屋の数も増加していく。関東大震災以降、花問屋は花卉市場へと活動の場を移し、昭和期に入ると地方にも花卉市場が誕生した(「花き市場の歴史」株式会社フラワーオークションジャパン・ホームページ参照、2020年4月閲覧)[加藤]

花作り初期の勧農寮の政策