1章4節348-11~12
家の前庭に植えた草木を前栽といい、「せざい」ともいう。『蜻蛉日記』(975年)に「せんざいの花、いろいろに咲き乱れたるを」とあるように、平安時代の貴族は前栽に趣向を凝らし、「前栽合」でその優劣を競った。翻って庶民は、庭先で野菜などを栽培していたことから、後に野菜、青物は「前栽物」と呼ばれるようになる。これを略して前栽ともいった。大槻文彦『言海』(1886年)によると「蔬菜」の語は18世紀半ばごろから広く見られるようになり、それ以前は「な」「あおもの」が一般的だったようである。このころから前菜を蔬菜畠というようになったと考えられる。近世の町において人々が庭で野菜を栽培するのは普通だったが、これが近代に入って衰退し、都市の人間にとって野菜は購入するものへと変化していった(「町風田舎風」1929年『都市と農村』④227)。[加藤]
→花作り