1章4節348-9
柳田は花が先祖に供えられるもの、あるいは神に捧げられるものであることに着目し、「祭」「節句」を連想させるものだとしている。そしてこれが庭に栽えられるようになったのは、「酒が遊宴の用に供せられるに至った」のと軌を同じくするとしているが、信仰と結びついていた花と酒が、娯楽の場に取り入れられた過程に注目していたことが窺える。寺や神社などの霊地に古木が存在することや、日常的な労働の場である庭の片隅に花木を栽えて「特別な作業即ち季節毎に神を迎へる場」とする行為の背景に、信仰の影響を想定する視点は、「しだれ桜の問題」(1936年『信州随筆』⑨22)などにも見られる。なお理由は様々だが、庭に植えることが忌まれる花木も多く、その数は確認されているだけで70種を超える(飛田範夫「庭園植栽の禁忌」『ランドスケープ研究』60巻5号、1995年)。例えば椿は「首が取れるように花が落ちる」ことから、武士の家では庭に植えなかったと伝わっている。[加藤]