第1章第1節342-14~15
これに続けて柳田は、問題の立て方によって「他人にもなれば、また仲間の一人にもなるので、しかも疑惑と好奇心とが我々に属する限り、純然たる彼等の事件といふものは、実際は非常に少ない」と論じる(342-15~16)。彼は民俗学も広い意味での歴史だと位置づけたが、それは歴史学(文献史学)の補助科学という意味ではない。『世相篇』は世相史とも呼ばれるが、感情や感覚といったあくまで個人的な心意を掬い取りつつも、その中の共同的な「生」のあり様や仕組みの変化を、総体的なプロセスとして具体的に描こうとした。「歴史」を私たちの側に引き寄せて、自らの問題として考え、足元からその過去を問う態度や精神を、彼は「史心(ししん)」と呼んだ。あくまで現在の自己の「生」を過去の事象との繋がりにおいて把握しようとする歴史的感性のことであり、それは「実生活上の課題」に対して「自ら判断する力」を養うことになるとした(『国史と民俗学』⑭123など)。
これを彼は「歴史ある平凡」とも表現した(「平凡と非凡」㉚119)。平凡とは、第一に、いわば大きな出来事だけを追い求めた旧来の歴史学が、自らとは無縁のものとして除外して来た私的で小さな些事のことであり、第二に、平凡とは日常そのものであり、当たり前になってゆくプロセスを含む動態的なものとして描かれる。柳田は従来の歴史学の中に「歴史」の欠落を認め(「聟入考」1929年、⑰)、新たな私たちの史学として構想したのが、世相史あるいは民俗学なのだといえる。[岩本]